048-795-6430(留守番電話対応)
337-0015 埼玉県さいたま市見沼区蓮沼
不定休
たまには、いいことも書こ♪
いつも、父と母のことを書くときは
悪口ばかりなので
今日は、ちょっと変わった一面も( *´艸`)
私が、心理を学び始めたきっかけは
「何故、私は父と母にこんなことをされるのだろう」「何故、私から父と母に色々伝えても、変わることがないのだろう」と思ったから。
そこでまず、私が向き合ったのは ”自分”
そして、自分が益々大嫌いに…(^-^;
”絶対に、父と母のような親にだけはならない!”と心に決めていた
それから、長い長い間の 両親への反抗期…
その当時お付き合いしていた方からは、「○○(私の名前)ってさあ、偽善者だよね」とか、「○○は自分の意志がないよね」とか「○○は隙があるから、他で声をかけられるんだよ」とか言われてた。
その時は、何でそんなこと言われるんだろう?と思って悲しくなったけど、今は納得! よく私を見てくれていたんだな…と 感心する🍀
さて、私の父と母について。
厳格な父。侍気質。私の幼少時は残業・出張が多く、自宅にいるときは、ほぼ寝ている。
山内一豊の妻のような”理想の妻の姿”を母に望み、言うことを聞かないと、今でいうモラハラ的に…
一方、父をたてながら粛々としているように見える母。実は自由をくれない父を激しく恨んでいた…(笑)
兄弟が多く、兄弟にも親にも弱みを見せられない、けっこうな見栄っ張り。
ほぼワンオペで私を育てていたが、子育ての相談をできるひとがいなかったそう…(←おそらくそれは、見栄っ張りも一つの要因だったのではないかと思うが(^^;))
私が産まれた頃、世間はオイルショック。
父は、産後の日達が悪く母乳が出なかった母を支えるため、当時、自宅の近所では買えなかったが父の職場の売店では売られていた粉ミルクを抱えて、満員電車に揺られて帰ってきたそう…
オムツ替えをしたり、ミルクを飲ませたり、私に愛情を注いでくれていたらしい。だからなのか、基本的に私は父が好き。父は時によって、私を自分の娘として認めたくない時期もあったようだが(私も、山内 一豊の妻っぽい女性ではないので)(^-^;
そして、夫にも両親にも兄弟にも世間にも見栄を張って、「私はちゃんと子育てしている」と見せたかったワンオペ母。
愚痴を吐ける人も相談できる人も回りにはおらず、振興住宅内の同世代の子どもがいるママたちとも、すごく仲が良かったとは言いがたい。今となれば、母も相当辛かったのだろう…と解る。
喘息で寝たり起きたりの生活だった私は、4歳くらいまで、母の小さな膝にちょこんと座って、本を読んでもらったり、一緒に英語の紙芝居カセットテープを聴くのが好きだった。母は、掃除機をかける手を止めて、私を膝に乗せてくれた。母の膝のぬくもり、この記事を書きながらも、思い出せる。
だから、私は基本的には母が好きなんだと思う。
辛いこともいっぱいあった私と両親の親子関係だけど、「親の介護が必要になったときに、恨んでいたくない」と思う一心で、心理を学んだ。
今、安心して歳を重ねられるのは
父と母が、私を”1人のひと”として認めてくれ、私が父と母の感情や行動の多くを理解し、許せたからだと思う。
心理を学んで、ほんとに良かったと思う(^-^*)
他の物事にも、怒ることが減ったしね…
「死にたい」「消えてしまいたい」「自分なんて、この世にいない方がいい」と思うこともあまりなくなった。
家族に”1人のひと”として認められたことで
生きるのが、とても楽になった気がする🍀
合同会社 陽だまりのnekoの夢 電話番号 048-795-6430(留守番電話対応) 住所 〒337-0015 埼玉県さいたま市見沼区蓮沼 定休日 不定休
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いつも、父と母のことを書くときは
悪口ばかりなので
今日は、ちょっと変わった一面も( *´艸`)
私が、心理を学び始めたきっかけは
「何故、私は父と母にこんなことをされるのだろう」「何故、私から父と母に色々伝えても、変わることがないのだろう」と思ったから。
そこでまず、私が向き合ったのは ”自分”
そして、自分が益々大嫌いに…(^-^;
”絶対に、父と母のような親にだけはならない!”と心に決めていた
それから、長い長い間の 両親への反抗期…
その当時お付き合いしていた方からは、「○○(私の名前)ってさあ、偽善者だよね」とか、「○○は自分の意志がないよね」とか「○○は隙があるから、他で声をかけられるんだよ」とか言われてた。
その時は、何でそんなこと言われるんだろう?と思って悲しくなったけど、今は納得! よく私を見てくれていたんだな…と 感心する🍀
さて、私の父と母について。
厳格な父。侍気質。私の幼少時は残業・出張が多く、自宅にいるときは、ほぼ寝ている。
山内一豊の妻のような”理想の妻の姿”を母に望み、言うことを聞かないと、今でいうモラハラ的に…
一方、父をたてながら粛々としているように見える母。実は自由をくれない父を激しく恨んでいた…(笑)
兄弟が多く、兄弟にも親にも弱みを見せられない、けっこうな見栄っ張り。
ほぼワンオペで私を育てていたが、子育ての相談をできるひとがいなかったそう…(←おそらくそれは、見栄っ張りも一つの要因だったのではないかと思うが(^^;))
私が産まれた頃、世間はオイルショック。
父は、産後の日達が悪く母乳が出なかった母を支えるため、当時、自宅の近所では買えなかったが父の職場の売店では売られていた粉ミルクを抱えて、満員電車に揺られて帰ってきたそう…
オムツ替えをしたり、ミルクを飲ませたり、私に愛情を注いでくれていたらしい。だからなのか、基本的に私は父が好き。父は時によって、私を自分の娘として認めたくない時期もあったようだが(私も、山内 一豊の妻っぽい女性ではないので)(^-^;
そして、夫にも両親にも兄弟にも世間にも見栄を張って、「私はちゃんと子育てしている」と見せたかったワンオペ母。
愚痴を吐ける人も相談できる人も回りにはおらず、振興住宅内の同世代の子どもがいるママたちとも、すごく仲が良かったとは言いがたい。今となれば、母も相当辛かったのだろう…と解る。
喘息で寝たり起きたりの生活だった私は、4歳くらいまで、母の小さな膝にちょこんと座って、本を読んでもらったり、一緒に英語の紙芝居カセットテープを聴くのが好きだった。母は、掃除機をかける手を止めて、私を膝に乗せてくれた。母の膝のぬくもり、この記事を書きながらも、思い出せる。
だから、私は基本的には母が好きなんだと思う。
辛いこともいっぱいあった私と両親の親子関係だけど、「親の介護が必要になったときに、恨んでいたくない」と思う一心で、心理を学んだ。
今、安心して歳を重ねられるのは
父と母が、私を”1人のひと”として認めてくれ、私が父と母の感情や行動の多くを理解し、許せたからだと思う。
心理を学んで、ほんとに良かったと思う(^-^*)
他の物事にも、怒ることが減ったしね…
「死にたい」「消えてしまいたい」「自分なんて、この世にいない方がいい」と思うこともあまりなくなった。
家族に”1人のひと”として認められたことで
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